―――あー、なんかめんどい。

数瞬で大の男4人を沈めた怜野は、ぽりぽりと頭をかきながらパーカーを拾いあげ、薄暗い路地裏から出て行った。

男たちの懐に入っていた財布の中身はちゃっかりいただいて置いたから、しばらくは贅沢できるか。

「何モタモタしてやがんだ」

少々苛ついた声が降ってきた。

次の街まで乗せていくと無理やり約束させた知り合いのタクヤ。雑誌の運搬の職についていて、色んな街を適当に回っている。

同じく色んな街を適当にぶらついている怜野は、たまに会ったときについでとばかりに雑誌と一緒に乗せていってもらう。

タクヤは、怜野が出発の時間に遅れたのでご機嫌斜めのようだった。

「ちょっとね」

「あーそーかいさっさと乗れや」

「ん」

適当に返事をしてトラックの荷台に乗り込む。

街と街は高速道路でつながっており、高速道路の両脇は開発の手が入っていない自然のままだ。

逆に言えば街と街との間で通れる公式な道は高速道路しかなく、森を通過する事も出来るが野生動物に襲われたり最近は魔物に襲われたりもする。

つまりこのうえなく物騒で危険であり、そのうえサバイバル技術が必須なのである。

怜野は別に危なくても何でも構わないが、トラックに揺られていったほうがはるかに楽なのでタクヤに会うたびにトラックに便乗している。

なんだかんだ言って、怜野は結構この青年を重宝しているのだ。

「言っとくが荷物汚すんじゃねーぞ」

「んー。おやすみ」

「ちっ、ったく・・」

舌打ちしてトラックを発進させるタクヤに心中で礼を言ってからトラックの荷台で目を閉じる。

 




























世界が壊れていく。

世界のウラ側から、世界が壊れていく。

ぽろぽろとこぼれおち、ぺりぺりと剥がれていく。

毎日毎日世界が上書きされていくウラから、

毎日毎日世界が削除されていく。

 

――――――脆い。

脆い。

なんて、脆い。

なんて――――

 
























「何ぼーっとしてんだ」

タクヤが怒ったような声をかけてきた。いつも怒ったような態度だが、これが本人にとっては普通らしいので怜野は気にしない。

無論、別に怒っていても気にしないが。

「なんでもない。ここまでサンキュ」

そういって意外と身軽にトラックの荷台から飛び降りる。

普段のどこか抜けてぼーっとした様子を見慣れていたタクヤは、不思議そうに眉をひそめたが(こういう動作も怒っているように見える)たくましい腕を窓から出し怜野の頭をこづいた。

「たまには普通に動けるんじゃねぇか。普通に動けんだったらその普段のゾンビみてぇな見ててこっちまで疲れるような疲れた動きをあらためたらどうだ」

「あー?・・・そのうち」

タクヤのたくましい二の腕をじーっと見ながら適当に返事を返すとまた頭をこづかれた。

「真面目に直す気無ぇだろ、お前。ちったぁ考えた方がいいぜ。んじゃな」

言うだけ言って去っていった。

トラックの排気ガスに少しばかり咳き込む。

それはまあ疲れたような動きをしてれば周りの人はつられて疲れるだろうしきちきち動くよりは怪我も多い。

でも周りの人はつられなければいいわけだし怪我の方は慣れとコツさえ覚えればしなくて済む。

それだけのこと。

だと思うんだけどなあ。

んー・・。

でもまたタクヤに怒られそうだしなぁ。

まぁいいか。

それより俺が思うのはだ。

あんなにむきむきの腕をしているのになんで俺より弱いんだろう。

怜野は緩慢に首を掻いて走り去ったトラックを見ていたが、ゆらりときびすを返して街に踏み出した。

この街は治安が良いらしく、怜野のように未成年でタバコを吸っている人など見当たらなかった。小奇麗な身なりの人々、きちんと整備された道、澱んだ所のない街並み。

治安の悪い要素などとは全くの無縁であるように思える。

そして、治安の悪い要素と無縁の所であればあるほど、統制された機械的な日常を送っているはずである。そして、そういう場所には法にこびりついたカビのごとく警吏局が権力を誇示している。

だけど酒場(裏街)にはそーゆーうるさいpolice(ポリス)はいないはず・・・だったと思う。

ここのところしばらく裏街の酒場みたいなところに行ってなかったから(だからといって酒を飲んでいないわけではない)各街の裏の酒場の情報などおぼろげにしか思い出せない。

まぁいいか、などと軽く思いながら逃げる記憶をなんとかつかみ酒場への道を思い出す。

たいていの街には地区案内の自動テレビが立っているが、裏街の、しかも酒場なんていう危険極まりない場所は当然のごとく書かれていない。

酒場ってこっちだったっけ、とやっとみつけた路地裏から近道をしようとした瞬間、背後から多量の殺気を感じ、上へ跳ねた。

何の前触れもなく行われた急速運動。常人ならその唐突さに体中の筋肉が悲鳴をあげて引き千切れていただろう。しかし、怜野は平然と空中でバランスを取った。

街灯の上に危なげなく降り立ち、下を見る。

何か見覚えあるなぁこの集団。

大体十名ほどだろうか。服装はバラバラ。黄色い腕章。年齢二十代から四十代。全員、銃やナイフなどの武器を持っている。・・・ん、黄色い腕章?

リーダー格の栗毛の髪の男と目があった。

「あ」

思い出した。この街の自警団だ。

確か前どっかで見たことがあったような・・・。

「おーお。この間の小僧じゃねぇか。なぁんでこんなとこに居んだ?」

そういえば前この自警団と一悶着起こしたような気もする。

 自警団のリーダーは、酔いにまかせた態度で怜野を睥睨する。

「まさかまたこの街に来るとはなぁ?・・・それ程に度胸があんのかただの馬鹿なのかわかんねぇな」

どっちかって言うと馬鹿だろうなぁ。すっかり忘れてたし。

 そう思いながら怜野はさっさと退散することに決めた。街について早々面倒事に関わりあう気は全くなかった。

 怜野の常人より鋭い、しかし自分では普通だと思っている嗅覚にむせ返るようなアルコール臭が襲い掛かる。思わず顔をしかめた。

こいつら、また酔ってやがんのか。しゃーねぇな。

相手の口調に合わせて言葉遣いが悪くなる。

「うるせぇな。こないだ大分のしてやったのにまだ懲りねぇのか?」

あー。そうだそうだ。言ってから思い出した。確かボコボコにしてから金目のもんもらったんだった。

「んだとぉ!?」

やっぱ酔ってら。

 と、そろって焦点の合わない目で怜野を見ていた自警団員達の中からふと声が上がった。

「隊長ぉ、こいつぁ手配されれる奴ぁねぇんれすかい」

へろへろになった男が隊長にもたれかかる。

酔ってあまりろれつの回らないようで、舌足らずな言葉で言ってからごそごそと懐を探り出す。

隊長はその言葉に興味を示したようだった。離れろ、といいつつアルコールで濁った目をその男へ向ける。

早くしろと急かしながら酒をあおるその姿に、怜野はうんざりしたような気分になった。

こいつら本当にこの街の自警団か?

本当に?こんな治安の良さそうな街の自警団?

 そこまで思ってから思考を止める。

表向き街の治安がよく見えても、裏がどうなってるかなんてわからないしな。

 



 世界には表と裏がある。

 それを忘れてはならない。

 





誰が言った言葉だったっけな。

 怜野は自警団員たちを一瞥するとさっさと屋根の上に消えた。

 街灯をけった時に街灯のガラスからみしっという不穏な音が聞こえたような気がしたが、怜野はつとめて聞かなかったことにした。

こんな面倒臭いもめごとはごめんだ。

前回は何であんな奴らの喧嘩を買ったんだろうな。

きっとすごくノリノリだったに違いない。

 

屋根を伝って酒場を目指す。

屋根を伝う怜野は当然いったん見つかるとひどくよく目立った。

何の装備もせずに猫や豹のように軽々と屋根から屋根へと飛び移る人影。

これで、目立たないはずがない。

しょうがなく、怜野は屋根から下りて地を歩く人間に戻ることにした。

地面に降りた時、その場を目撃した老婆が腰を抜かしていたのでとりあえず助けておいた。

自分が一般人のように歳をとって死ねるのなら、自分も歳をとって腰が抜けた時助けてほしいとしみったれたことを思ったからだった。

 

 

 















酒場に着くと客達の視線が一斉にこちらを向く。

これくらいは慣れている。

こんな場所に来る者としては怜野は幼いからだ。

たいていの場所(酒場)では少なからず奇異の視線を受ける。

 

『酒場』というのは一種の無法地帯であり、それ故に暗黙の了解が多々ある。

暗黙の了解をわきまえない愚か者は酒場の外にたたき出され、運が良くて半殺し、運が悪く死に至る場合もある。

酒場の外に叩き出された者は酒場の店主からの『殺ってよし』という暗黙の了解を押し付けられた犠牲者なのである。

『殺ってよし』とのお墨付きが下れば酒場の客達は容赦しない。

日頃の鬱憤を堂々とはらせるチャンスなのである。暗黙の了解で銃やナイフは使わない。そんなものを使えばすぐに死んでしまって楽しめないからだ。

それだけでなく、酒場では意味もなく銃撃戦が起こり流れ弾に当たることもある。

麻薬や人身売買の売人はもちろん、軍からの流通品や合成(キメ)()のブローカーも居たりする。

突如後ろから襲ってくる麻薬づけの男がいる。

口紅に痺れ薬をぬってキスしてこようとする娼婦がいる。

勝手に他人をナイフの的にする奴らが居る。

いきなり頭に銃を突きつけて店の外に出るよううながす男がいる。

こちらをじろじろと値踏みするように見てくる者もいる。

殺しやすそうな人間を物色しているモノがいる。

財布をちらとでも見せると酒場を出た途端に誰かが襲ってくる。

目が合うと必ず喧嘩か殺し合いが始まる。

日常的に殺し合いが行われている。

それ故に酒場は人の出入りが激しい。

 

酒場に来る人間は大体この4つに分けられる。

@、自分が死ぬとは微塵も考えずただ暴力を振るいたくて来る人間。

A、酒場の危険性を十分に知り商売に来る人間。

B、情報収集のために来る人間。

C、息抜き、娯楽のために来る人間。

@の人間が圧倒的に多いが、酒場に来て死ぬのはほとんど@の人間である。そして、殺すのもほとんど@の人間である。A、B、Cの人間は俗に裏社会と呼ばれる光の当たらない方の人間が大半なので人が死のうが死ぬまいがほとんど関与しない。

たまにCの人間で人が死ぬのに好んで関与する殺人が趣味という者が居たりするが。

そんな場所だから、少年をあと少しで卒業しそうで、つまり青年ではない怜野のような未成年者ははっきり言って場違いすぎるほど場違いなのである。

そう、狼の群れの中に羊が平然と混ざっているように。

灰褐色の群れの中にひときわ目立つ白があるように。

白い生贄の羊に見えたそれが実は獰猛な獣だと、灰褐色の狼の群れはいつ気付くのだろうか。

 

警戒心などカケラもないように歩く怜野はそんな奇異の視線にも慣れっこになっていたので気にせずに奥に入り、水割りを注文する。

カウンター席に座り、煙草をふかしながら視線がそれるのを待つ。

いくら怜野といえども、注視されている中でリラックスできるほど神経は太くない。そんな神経を持っている奴は、きっと神経がソーセージのように太いに違いない。

吸い込んだ煙草のけむりを、不味いとつぶやきながら虚空に吐き出す。

そもそも、怜野は煙草があまり好きではない。むしろ、嫌いな方に入る。それでも吸っているのはなぜだろうと自分の事ながら不思議に思うが、深く考えた事はない。

うまくもない煙草をなぜ吸うのか、そう聞かれてもはっきりとは答えられない。

それでもなぜか、街に入るといつのまにか煙草を口にくわえている。

それはきっと。

見たくもない街の営みを。

煙草のけむりで誤魔化して。

 

―――九八、九九、一〇〇。おいおい、もう一分以上経ったけど。

煙草を灰皿に押し付け、水割りで喉を潤す。

いつまでたっても客達――つまりはカタギじゃない者たちやちょっとしたお尋ね者、ごろつきやヤクの売人その他もろもろ――の視線がこちらから外れない。

――――――――?

なんだかヤバめな視線も感じる。

俺なんかやったっけ。

 少しばかり冷や汗を掻きながら平然を装う。

 




視線。

 

視線。

 

視線。

 




・・・マジで俺なんかやったっけ。

グラスを傾けながら記憶を探る。

何かをやった覚えはたくさんある。

たくさん、ある。が、しかし、こんな大勢に知れわたるような事なんかやった覚えはないな。

 

行くか。

おう。

おいてめえら、カモみつけたぜ。

 

がたっ。

がたがたがたっ

がた、がたん。

 

どすどす、

ぎゅっぎゅっ、

ばたばた。

 

ごそっ

かちゃ、

かちり。

 

「おう、ボーヤちょっと表に出ろや。」

 

うわあ。

ゴリラそっくり。本物見たことないけど。

内心の呟きと似たような無関心な声音でいたって平穏に訊いた。

「何か?」

血の染み込んだコンクリート製の床を踏みつけ、男達は怜野を取り囲んだ。

「いいから店の外に出ろっつってんだ。ドタマに穴開けんぞ」

何が面白いのか、周囲の男たちが笑う。

これみよがしに銃を見せつけてくるゴロツキ。

その後ろでへらへら笑っているチンピラたち。

皆、武器を持っている。

ふーん。目立たずにってのは無理か。

怜野は無言で立ち上がった。

「あん?何だオニイちゃん、大人しく来る気になったかぁ?」

周りから立ち上る不快な笑い声。

怜野は何の前触れもなく、目の前のゴロツキの銃を蹴り上げる。

「おぁっ・・・!」

ノーモーションの怜野の蹴りを見切れるものはそうはいない。

銃の行方を気にする間もなく、チンピラたちが一斉に銃やナイフを取り出す。

「てめえ!」

「やる気かコラ!」

怜野の後ろにいたゴロツキがナイフを振り上げる。

それすらも気にせず、怜野はゆっくりと顔を上げた。

チンピラたちに告げる。

挑むように。

見下すように。

「―――追いついてみな」

 

 











あーあ。

俺は何やってんだろーな。

つーか俺何かしたか?

なんか恨まれるような事したか?

なんでこんな血の気の多い奴らが大挙して来るんだ?

まぁプロっぽい奴らが入ってないのが救いかな。

しかし、俺なんかやったかな。

考えこみつつ怜野は決して止まらない。

コンクリート製の床を蹴り、天井近くを縦横無尽にはしっているパイプに着地し、またすぐにそこを離れ机の上に降り立つ。

「そっちいきやがった!まわりこめ!」

「どけ!」

「捕まえろ!」

「邪魔すんな!」

うおーい。俺なんかしましたか。

「くっそ、ちょこまかと!」

「サルめ!」

ごしゃっ!

悪態をついた男の顔面に怜野の蹴り飛ばした酒瓶が命中した。

うるさい、ゴリラ。

何を考えているかよく分からない表情に初めて憮然とした感情が浮かんだ。

どうやらサルと呼ばれるのが余程不本意だったようだ。

「ガキィ!ナメたマネを!」

鼻血で顔を真っ赤にそめて倒れた仲間に見向きもせず怜野を追いかける。

うっわ、ひどっ。

チンピラたちの態度に場違いな感想を抱きつつカウンターの机を蹴り、突進してくるナイフ男の背中に乗る。

怜野に向けて発射された銃弾がナイフ男の身体をえぐるが、怜野はすでに別の男の頭頂部に靴底を叩きつけている。

そのまま数人のチンピラたちの肩や頭を犠牲にして入り口にたどりつく。

そして、そのまま猛ダッシュで逃げ出した。

全員倒すとかやったら次から立ち入り禁止にされそうだし、まあ逃げるが勝ちってことだな。

 

逃げるというのは怜野のように目立ちたくない者にとっては常套手段である。相手に『逃げられた』という印象を植え付けるだけで、『負けた』というものよりも大分印象が薄い。

わざと殴られてやるという方法もあるが、怜野は痛いのは御免だった。

逃げ慣れている怜野は、簡単には捕まらない。

チンピラたちは酒場を出て五秒程で怜野を見失ってしまった。

 

・・・噂にならずに済んだ筈だったんだけどな。何で狙われてんだか。

あー?・・・そういえば。

あの自警団の酔った奴『手配書の』って言ってた気が・・・。

 裏路地をひた走りながら元から乏しい記憶を探る。

ってことは俺手配されてる?

アレ?

ウソ、俺って賞金首?

「それは無いだろ」

そう、まだ確証があった訳じゃない。

 自分に言い聞かせつつ最近の記憶を探る。

今日。酒場で襲われた。原因不明。

自警団にあった。

街に着いた。

財布を拾った。

黒服の男たちに追っかけられた。原因不明。

昨日。食料を買いだめした。

財布をスられそうになった。

雨が降った。(傘なんて持ってないから濡れた。)

拾った金品を売った。

一昨日。遺跡についた。

中を適当にぶらついた。

でかいネズミに襲われた。

その前。山を登った。

途中で青い雷に撃たれた。

その前。珍しく魔物にあった。

その前。・・・・・忘れた。

特に賞金首にされる理由は無いな。

 唐突に走るのを止め、歩き始める。

 全く乱れていない呼吸。痩身の割にスタミナがあるようだ。

とり合えず確認が先か。

 着ていたパーカーのフードをかぶって目立つ頭髪を隠す。

 顔の半分が隠れるゴーグルをつけ、その上からさらに深くフードをかぶった。

 疲れたようにため息をつき、新しい煙草をくわえながら疲れたように歩き出す。

 





狩られないようにしないとな。

 

 

 

 


もどる        次へ